ラブコメ 百人一首



瀬をはやみ 
岩にせかるる滝川の
われても末に 
逢はむとぞ思ふ
崇徳院

訳

川瀬の流れがはやいので、岩にせきとめられる急流が両方に分かれても、
いずれ一つに落ちあうように、
今は人にせかれて逢うことができなくても、
この先かならず逢おうと思う。

解説

時は平安末期
藤原氏の摂関政治に代わり、引退して院となった前の天皇が現役天皇の後ろで政治を操る「院政」を始めたのが白河院

その白河院の孫の鳥羽帝の息子として、祟徳帝は生まれます

だがしかしっ

鳥羽帝の子というのは表向きの話で、実は白河院の子らしいゾ、というのが半ば公然の事実 
と言うのも、ワンマン帝王・白河院は、自分の若く美しい愛人を、孫の鳥羽院の中宮にしたからなんです 

しかも中宮となった後も、二人の関係は続いてる…って、おっちゃんえーかげんにしぃやっ

鳥羽院は絶大な権力を持つ祖父に逆らえない分、自分の子ではない息子・祟徳を「叔父子(叔父にあたる子)」と呼び、憎悪を募らせます 

そして目の上のタンコブ・白河院亡き後、早速自らも院政をはじめた鳥羽院は、祟徳を退位させ、自分の実の子を天皇に据え、祟徳の未来を塞ぐのです 

鳥羽院の崩御をきっかけに、父に愛されず未来を絶たれた自らの復権を賭け、新帝に戦いを挑んだ祟徳
それに藤原氏の内紛や武士の台頭が加わり、勃発したのが「保元の乱」

乱に敗れ、讃岐に流された祟徳院
絶望と憤怒の内に生涯を閉じますが、その後、都に戦乱が相次ぎ平安朝が崩壊したのは院の祟りではないかと人々は恐れたのだとか

そんな院の生涯を思って読むと、百人一首のこの歌も、単なる恋愛の歌ではなく、「今は位を追われても、いつか必ず復権してやる」というドロドロした怨念に満ちた歌に思えてきませんか

ワンポイント文法

●「を+形容詞語幹+み」は原因・理由を表す慣用的語法。

●「せかるる」は「堰く」の未然形に受身の助動詞。
 「る」の連体形がついたもの。

●「われ」は下二段動詞「わる」の連用形。

●「逢わむとぞ」の「む」は意志を示す助動詞、「と」は引用の格助詞、「ぞ」は係助詞。

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